慈恵 季刊誌
季刊誌 慈恵 より 読者 竹下寿英さんよりの
投稿の紹介をさせていただきます
坐禅会 坐禅会に学んで
日野市 竹下 寿英
もうかなりの間、坐禅会に出席させていただいていますが、
そこで学んだことごとが、常日ごろの生活の支えとなって
いますことに感謝しております。初めて この会に出させて
いただいた折、先の住職、明春師からは、坐る時には 無心に
なりなさい と 教えられ、いまだそれができていないまま、
目標として努めています。また、坐るときの、調身、調息、調心
という心得は、日常の仕事を始める折にも心がける課題となります。
つまり、坐禅の心は、日々のすごし方への緊張感と心構えを
作り出す大切な方策になっているように思います。
最近は、坐禅会で、朝の読経に参加させていただいていますが、
そこで唱えられる 菩提願行文 にも、常に新しく教えられる
気持ちがいたします。その中の 古へ先徳は鳥類畜類に至るまで
合掌礼拝の心を持って愛護し給へり と いう言葉には、日々
大学の授業で話している、すべての生物と環境の間で、また
自然と社会との間で、また自然と、社会との間に複雑な相互依存
関係が存在して、その安定的な関係が地球システムを作っていると
いうことを そのまま述べていることに 気づかされます。ただ、
これらの相互依存の仕組みが十分に理解、把握されていないために、
私たちの環境問題への対応は、なかなか進んでいかないことにも
結びついて来ます。つまり、合掌礼拝という心は、自然に対する
スチュワ-ドシップ と いうことになっているように思います。
この坐禅会で見聞きすることから、仏教の教えや その背景が
どのように作られているのか、ということへの関心をも深められて
いきます。インドの伝統的な自然信仰やヒンドウ-の世界の中で、
どのように仏教が生まれてきたのか、その複雑な教義が どうして
大乗の世界観を形成してきているかなど、疑問は広がりこそすれ、
止まるところはありません。ただ訳もなく聞いている、多くの
お経の中に、理解はしてないものの、限りない思想や哲学が
組み込まれていることには 驚かざるを得ません。そして
何千年も受け継がれていることに、深い感銘を受けるとともに、
少しづつでも、分かるところが出来てくれば、とも思っています。
やはり、先の住職、明春師が何度も説かれていた 自灯明 法灯明
と いうことは、十分に分かっていないことのひとつですが、
自然や社会のあり方を正しく受け入れ、自らを よりどころとして
生きなさい と いうメッセージだとして、日々をすごしたいと
念じています。
慈恵院
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