慈恵 季刊誌
慈恵 季刊誌より 読者 F k さんの投稿の紹介を
させていただきます
去年の夏マリ-は逝った
小平市 F K
18年3ヶ月の間、共に暮らした愛犬のマリ-が、
この世を去って、早や1年。7月24日に一周忌を
迎え、慈恵院のご住職様に法要をしていただきました。
この1年、1日とてマリ-を忘れたことはなく、涙が
ふいに出てきて、胸が痛くなることもありましたが、
ご住職様の 命あるものは いつかは その命を
閉じることは 宿命であるが、残されたものが
その生命体の生前の姿を覚えている間は その人の
心の中で生き続けている と いうお話に
心にポッカリ空いた穴がス-ッと埋められた
ような気がしました。
生後40日位で我が家に来たときは、マリ-は
片手に乗るくらいの大きさでしたが、数週間のうちに、
かつての牧羊犬の本能を発揮し始め、家の中を縦横無尽に
走り回り、まるで動くぬいぐるみのようでした。
散歩の時は、近くの大学のグランドをサッカ-選手の
ように駆け巡っていました。性格は非常に素直で
人間の心の動きを察するのに長けており、朝などは、
目覚まし時計の役割までしてくれました。
留守番をさせたときに、トイレの失敗をしたり、
テイシュぺ-パ-を部屋中に散らかしたりしたときには
いつも元気はなく、部屋の隅でしょんぼりとうなだれていたのを
思い出します。マリ-ちゃん、寂しかったのね。
留守番させて ごめんね。と言うと許してもらえたという
喜びを全身で表現するかのように、尾をちぎれるように
ふりながら、飛びついてきたのもしばしばでした。
そんなに元気だったマリ-も10歳を迎える頃から
老化が進み、しだいに階段を上がれなくなり、
目や耳や鼻も衰え始め、帰宅したときに玄関に
転げるように出てきて迎えてくれることもなくなり、
老いるという現実を私たちに教えてくれました。
内臓の機能も衰え、何回も発作を起こして意識を失い
もうだめかもしれないと思い始めたのは、
亡くなる2年ほど前からでしたが、お医者さんの適切な
治療により、その都度 奇跡的に元気を取り戻しました。
亡くなる5日くらい前から 何も口にしなくなり、
梅雨の晴れ間の太陽がまぶしいほどに輝いていた朝、
私たちの見守るなか、ろうそくの火が消えるように、
静かに息を引き取りました。
年齢からすれば、年には不足はなく、マリ-の死を
知らせて お医者さんに、あの心臓で よくがんばりましたね
と言われたほどの大往生だったと思います。でも、
まだ生きていて欲しかった。そして欲深な私たち人間に、
えさと お水と 散歩しか 要求しなかった生き方で、
足るを知る ということを 身をもって教え続けて欲しかった。
子供のいない私たちにとっては、マリ-は、犬ではなく
娘だったと思います。そして、その一生を通して生きると
いうこと、老いるということ、死を迎えるということを
教えてくれました。どんな言葉をもってしてもマリ-への
感謝の気持ちは言い表せません。私たちが生きている限り、
マリ-は 私たちの心の中で生き続けています。
マリ-よ、我が家に来てくれて 本当にありがとう。
安らかに ねむれ!
合掌
慈恵院
http://xn--9ckk6cu90pipcms7agkbk9z4r7d2swb.jp/
住所:〒183-0001 東京都府中市浅間町2-15-1
TEL:0120-121-940
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇