日本最大級ペット専門寺院 お迎えから、ペット葬儀(火葬)、供養、納骨、埋葬まで一貫施行

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2016/11/24

慈恵 季刊誌

季刊誌 慈恵 より 読者TOさんよりの投稿の紹介をさせていただきます

八王子市 T . O  パンと牛乳を持って

私が初めて飼った 犬の名は ゴロ-。今から40年以上も 前の事。

私が小学校に上がった ばかりの頃、20キロ以上も 離れた所から、

父が自転車の 前籠に入れて 連れてきた。今でも 忘れない。

あの日の事を。玄関に緑色の 籠が置かれた時、ゴロ-は

丸くなって 入っていた。まだ 子犬のゴロ-が、私と兄は

それを見たとき、大丈夫?このまま籠から 出られないんじゃないの?

と 言って心配した。でも 次の瞬間、黒い 小さな 四つ目の 犬は、

さっと 籠から 飛び出し、私たち 兄弟のベットの下に もぐりこむと、

小便を し始めた。ゴロ-は よく吠えた。犬が通っても、人が通っても。

そして ちょっとした 物音でも。余りに 吠えるので、時には 強く

叱った。叩いたりもした。そして ある日、私は 父に頼んだ。

ゴロ-を 捨ててきてよ!! と。忙しい仕事の 合間を縫って

自分で散歩に 連れて行った父は、どんな思いで ゴロ-を

置いてきた事だろう。帰ってきた 父に 聞いたところ、

ゴロ-を放した後、大急ぎで 自転車を漕いできたと。

でも その後、その 当日だっただろうか?ふと、

気配で 玄関のドアを 開けると、雨の中、父を追って

帰って来た ゴロ-が、びっしょり濡れて ドアの向こう側に

立っていた。しかも、脚に けがをして。血が たくさん

流れていた。私は 大声で 母をよんだ。ゴロ-が、

帰ってきた!!脚に けがをしている!! と 言って。

すると 母は、赤チンを 持ってきて、ゴロ-の脚に

塗ってくれた。その日以来、私は もう 決して

ゴロ-を 捨ててきて などと 言わなくなった。でも

ゴロ-の 命は、3年ちょっとで 終わってしまった。

いまでも 忘れ無い、昭和45年の 12月6日の朝。

前の晩に、余りに 吠えるので 放したのだが、ゴロ-は

帰ってこなかった。私は 山の方に 捜しに行き、父は川の方へ。

やはり、いつも散歩に 連れて行っていた 父の 予感が

当たったのだろう。いや ゴロ-が、父を 呼んだのかも知れない。

自分は ここに居る と。探している 私を 父が呼びに来た。

ゴロ-、見つかった? そう聞く 私に、父は うつむきながら

うなずいた。家に帰ると、母と兄が 泣いていた。ゴロ-は?と

私が 尋ねると、ゴロ-は、お前の 身代わりに なったんだよ

と 母が言った。そして 車に 気をつけるんだよ と。

行ってみると、ゴロ-は 冷たくなって 動かなかった。

目は、ちゃんと開いていたけれど。皆で ゴロ-が いつも行く

川原の土手に 埋めてやった。スコップで 大きな穴を掘って。

今でも はっきりと 覚えている。茶色の毛布に 包んでやった。

大好きだった 散歩に ひとり出掛けて 行ったゴロ-。

でも それが、最後の散歩に なってしまった。父も泣いた。

私も泣いた。皆で 声を上げて泣いた。もっと大事に してやれば、

まだまだ 生きたかも 知れない。たった3歳ちょっとで 逝ったと

いう事は、十分な愛を 与えてやらなっかのだろう。それ故、神様が、

もっと可愛がってくれる 家に と、ゴロ-を連れて行ったのかも知れない。

ゴロ-が 死んだ後、私は毎日、学校帰りに パンと牛乳を 持って

ゴロ-の 所に 行ってやった。土手に咲いてる 花を摘んで。

半年、いや、一年くらい通った だろうか?いつの間にか

行かなくなってしまい、やがて 私たちは 引っ越した。でも、

何の因果か?今、私たちが 住んでいる所は、ゴロ-を 埋めてやった

川の上流。もし、船でもあって 漕いで行けば ゴロ-の所に たどり着く。

船では ないが、今は また、祥月命日には 自転車でゴロ-の所に

行ってやっている。40年近く経ったものの、当時と余り変わらない、

ゴロ-の所へ。勿論、パンと牛乳を持って。また、私の部屋には、

昨年の 命日に 慈恵院で 作って貰った 位牌もある。

 

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2016/11/23

慈恵 季刊誌

 

季刊誌 慈恵より 読者 服部壽子さんよりの

投稿の 紹介をさせていただきます

 

杉並区 服部 壽子

 

フェレット? なんだろう? おじいさん と おばあさん が

皮の手袋をして、その動物と日向ぼっこしている。すみません

何という 動物ですか?と 声をかけたのが ジャコウネコの

ダイちゃん の 家族と話をした 始まりだった。

息子さんが 近くの公園の中で 弱ってる ダイちゃんを

保護し 杉並警察署へ 届けたこと。しかし そこでは

保護できず、警察専門指定医を 紹介され すぐに連れて行ったこと。

本来 ふさふさで あっただろう 尾は 犬か何かに 襲われ 化膿して

取れかかっていたこと。切断しかない その尾を 放っておくか

どうするか の 判断を 求められ、迷わず 治療を選んだこと。

注射も うち 少し元気を とりもどし、健康診断を 終えて

診療代を 払ったこと。しかし 持ち主が 現れなければ

数日に 処分されてしまうという 最後の日に まだ残っている

ダイちゃんを 引き取ること を決めたこと。

おじいさんは 話してくれた。本来 野生種、最初は噛んだり

ひっかいたりと 威嚇されたらしい。皮の手袋は 必需品だった。

それに 食べ物とかも わからず 飼育方法を 当時 ジャコウネコ

のいた 埼玉の大宮の 動物園に聞いたそうだ。7年たった 今では

朝晩の散歩、週末の お風呂、小屋の掃除など 世話をしている

近所に住む 息子さんに 一番 慣れていること。息子さんの

自転車の音が 聞こえただけで 迎えに出て、顔を なめ

喜びを 全身で 表すそうだ。ダイちゃんは 優しい家族に

拾われて 今では 本当に幸せだ。しかし その様な 動物

ばかりではない。後で 飼いきれなくなり 簡単に捨てられてしまった

動物たちの その後の かわいそうな運命を 思うと やりきれない。

最後まで 責任を持って 動物を 飼ってほしいと ただ 願う。

 

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2016/11/22

慈恵 季刊誌

季刊誌 慈恵より 読者 細井貞一さんよりの

投稿の 紹介をさせていただきます

 

頭の体操 大人のおあそび

世田谷区 細井 貞一(84)

 

三(3)と言う数字について 考えてみませんか。

遠い昔の話ですが、私が中学生の頃、私の家には、可愛い 三毛猫が

一匹いました。この猫は、良くネズミを捕る 頼母しい 猫だったのです。

冬になると こたつの中で 眠ったり、夜になると 私の寝床に 入って

来て 眠ったりしました。それはそれは 暖かい カイロ の 役目を

果たしてくれました。それだけに 遠い昔の 思い出となっています。

その 三毛猫の 三の 数字に何故か 魅せられて この数字に

拘るように なってしまいました。後日 そのことに 拍車を

かけたのは、昭和三十三年のことでした。あの有名な 長嶋監督が

巨人軍に入団し、三塁手として デビュ-し、さらに 背番号3を

背負って プレ-したのです。なんと 三 という数字が

四つも あるではありませんか、私の頭の中では、三毛猫の 三

と いい、長嶋選手に係わる 三 と いい、ますます 三 の

数字が 駆けめぐるようになりました。このことが きっかけとなり

三 の数字に 係わりを 持つ事がら、行事、諺、言い伝え 等々

について 思い浮かんだ 事々を 述べてみたいと思うようになりました。

まずは、お祝い事に関する こととして、 七、五、三、 の 三です。

次は 三々九度の杯 の 三々です。次に言い伝えとか、神ちかに 係わる

ことに出てくる 三 です。三方 の 三 です。これは 神前に供え物を

する時に 使われる 物の名です。また、三種の神器 の 三 です。

剣、鏡、まが玉 の ことです。次は、諺の部類ですが、人間修業に関する

ものです。石の上にも三年 この 三 です。じっと 我慢していれば、

いつかは 成功の道が開けてくるということでしょう。次は、スポ-ツの

明暗に関することです。投手に明。打者に暗 となる 三球三振 の 三 です。

さて 三文記事、三大新聞 等の 三 も あります。ところで、まだまだ 三 の

つく ことばは あると思いますが、例示は この位で 止めます。

終わりになりますが、三 の 数字は、私にとっては 福を呼び、夢を描かせ、

ときめきを呼び起こして くれる数字 だろうと 思っています。

時には、つまらない と思われて いるような事でも 考えてみる つまり、

大人の おあそびでも してみたら如何でしょうか。

燦々と輝く 太陽の光を 浴びながら 散歩中に 浮かんだ ことごとを

述べた次第です。失礼いたしました。

 

 

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2016/11/21

慈恵 季刊誌

季刊誌 慈恵より 読者 T・O さんよりの

投稿の 紹介をさせていただきます

 

ミネは、父の自慢の北海道犬

八王子市 T・K

 

その犬の名は、峯の錦。通称ミネ。我が家にとって、2匹目の家族。

遠くの 茨木の大田原から、りんごの木箱の乗って(入って)やって来た。

今から35年以上も 前の話。父の自慢の 北海道犬。今でこそ CMなどで

有名な犬種だが、当時は まだ、余り知られていなっかた。父は事あるごとに、

北海道犬は、熊狩りに使う、勇敢な犬なんだぞ と まだ 中学校だった

私に 自慢げに 話した。その ミネが、私たち家族の一員になったのは、私が

中学1年の 夏休みの終わり。休みも、あと残り1日2日と言う日。私は 父と

共に 旧国鉄の 八王子駅に ミネを迎えに行った。りんごの木箱の 中の

赤茶色した 子犬は、差し入れた 私の手を頻りに 舐めていた。まだ耳の

先端が 少し垂れ、鼻先も黒かった 子犬。家に連れてきた後、父は 忙しい

合間を縫って ミネの為に 小屋を作ってやった。一方 私も、友達と遊ぶのも

そこそこに ミネとの楽しい時間を過ごした。何処へ行くのも 一緒だった、

私と ミネ。いつも一緒だった。でも、時が過ぎてミネも 大きくなり、

子犬の時は 可愛いと思って 面倒を みてきた私だが、勝手なもので

段々 ミネから 心が離れていった。また 以前の様に 友達との 時間の

方が 大事になり、ミネを置いて 出掛ける事が多くなった。そんな時、

ミネは 柵の向こうから、ねぇ、僕も連れて行ってよ。昔は何処へ行く

のにも 一緒だったじゃない と 言っていただろうに。寂しかっただろうよ、

ミネ。ひとり置いて いかれて。その ミネも 10歳を 迎える頃、

フィラリアの為、腹水と咳で 辛い毎日を 送るようになった。もう

自分で 歩く事さえ 困難になった ミネ を、私は毎日、抱いて 川原まで

用足しに連れて行った。小さい頃からの 習慣故、自分の敷地内では

決して用足しをしなかった為。でも、逝く当日だった だろうか?

それとも 前日 だっただろうか?初めて庭で便をした。もう何日も

点滴だけで 過ごしていた ミネだが、元気な時と 変わらない

大きな便を。便をした後、ミネは、何処に そんな体力が 残って

いるのだろう? と 思えるほど、力いっぱい 尻尾を 振り、

私に近づいてきた。よたよたと歩いて。それは 後々 思うと、

今まで どうも有り難う と 言っていた様に 思える。

本当に 立派だった ミネ。やっぱり 父の自慢の 北海道犬。

最期まで 本当に 立派だった。 今 ミネは、その後 10年経って

我が家に やって来た クロ と 共に、

慈恵院で 供養を お願いしている。

 

 

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2016/11/20

慈恵 季刊誌

季刊誌 慈恵より 読者 中村芳治さんよりの

投稿の 紹介をさせていただきます

 

帰って来た猫

府中市 中村 芳治(76)

 

このお話は 私の子供の頃の お話です。東京は 港区 六本木交差点から

溜池方面に 長い急坂があり、その途中に 私の家がありました。

子供の頃から 動物が好きだった 私は 猫を飼っていました。

その猫が 或る日のこと、子猫を 数匹産みました。私の母は

猫を捨ててくるように 言うのです。仕方なく 母猫 子猫 共に

捨てに行きました。丁度 我が家の 北西500メ-トル程 離れた所に

その頃 麻布歩兵三連隊 がありました。その 兵舎を 囲む 盛り土の

土手の下 の 草叢の中 に捨てて来たのです。明朝、眼が覚めると

もう 猫は いない。それから 二、三日が たったでしょうか。

その捨てた猫が ひょこり我が家に 戻って来たのです。

わあ- よく帰って来たね。思わず 口から 言葉が飛び出しました。

でも 帰って来たのは 母猫だけで 赤ん坊の 子猫は 帰って来ませんでした。

子猫は 歩けないから 母猫は 置いて来るより 致し方なかったのでしょう。

その 母猫の気持ちは 人と 同じです。人間は 両手両脚 が使えて いいですね。

あの時の 思いは 深く心に 刻みこまれて 忘れる事は ありません。

 

 

 

 

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2016/11/19

慈恵 季刊誌

季刊誌 慈恵より 読者 植山美奈 さんよりの

投稿の紹介をさせていただきます。

 

坐禅会 変わらない禅

町田市 植山 美奈

 

私は、父が二十年来 こちらの坐禅会に参加させて

頂いている ご縁で、小学校五年生より この日曜坐禅会に

参加させて 頂いています。今となっては いい思い出ですが、

早起きが とても大変で 坐禅会に行く前に けんかをしたことも

ありました。しかし、どんな朝で あっても 坐禅会のあとには、

清々しく、やる気に満ちた気持ちになれました。

私は、現在ニュ-ジ-ランド にある 大学に在籍しています。

そのこともあり、坐禅会へは 帰国した時にしか 参加することが

出来ませんが、留学先でも 日曜日の朝、ル-ムメイトよりも

早く起きて、三十分程度 坐っています。場所は違えども、

坐禅の後の 清々しさと やる気が みなぎる感じは

変わることがなく、とても気持ちが 良いです。

ニュ-ジ-ランドでは、仏教センタ- というものがあり、

現地の 坐禅を楽しむ 人々は そこで坐禅を 行います。

今回の帰国に際し、再び雲水さんや 父と 一緒に 朝の

澄みきった 空気の中、心を落ち着けて坐り、大きな声で

おなかの底から 読経することが でき 大変嬉しく

思っています。私にとって 坐禅とは どこにあっても

変わらなく 自分自身と 向き合える 大切な時間です。

今、この場を借りて 小学生の時から 坐禅に連れて

来てくれた父、そしていつも 変わらず 暖かく

迎え入れてくださる 方々に 感謝の言葉を 述べたいと

思います。いつも ありがとうございます。

これからも この 貴重な坐禅会での 時間を

父と共有しながら 自分自身と 向き合い 楽しく

坐っていきたいと 思っています。

 

 

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ペット葬儀や納骨、法要まで信頼と実績ある東京の慈恵院より最新のお知らせです

日本最大級のペット専門寺院として東京で歴史ある慈恵院では、新着情報コーナーにて最新のサービスのご案内や、月例法要、お彼岸、お盆などの行事のご案内、僧侶による法話のご案内などを致しております。
ペット葬儀についてお考えの方や、ペットロスでお苦しみの方、他で火葬されたご遺骨の納骨場所やご供養についてお悩みの方もぜひご覧ください。当院では専任の僧侶が常駐しており、ペットロスを癒す法話やご相談もお受けしております。
ペット葬儀の事前相談をはじめ、突然亡くなられてどう対処すべきか分からないとお困りの方も、専門の相談員がおりますのでフリーダイヤルにご連絡ください。お気持ちも落ち着くアドバイスや、ご遺体をお迎えに上がるまでの対応についてご案内させていただきます。

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